透明だけどいる

すけすけだよ

実体化はどうなったのかということ

2年前の自分の日記見たらいじらしすぎて泣けてきた。

確かにあのとき人生を肩代わりしてほしいと思ってたし、でもそれが良くないこともわかってて、インターネット上だけでも自分の気持ちとか考えを形にするぞ、と意気込んでいた。

結果的にはあんまり何もせず、Twitterの方で呪詛の言葉を吐きながら、現状に抗えないまま日常生活をなんとかこなす感じだった。

でもね日記読み返して気づいたんだけど、もう入れ替わってるんですよ。
透明から実体化するつもりが、気づいたら透明おばけちゃんがデフォルトになっていました。
ある意味夢が叶ってしまった。呪詛の言葉強すぎ。
私は2年前の私のことを肩代わりしてあげてるだけで実体感はあんまり取り戻してなかったんですよ。この2年もほぼ記憶なかった。辛い。

でも今は家族がいるから沼から出られなくなったとき助けてって言えるし、前より貯金もできたし、転職の経験値も前よりある。
あと自己分析する心の余裕もある。
大学生のときが一番メンタル死んでて、自分の子供のころ思い出す作業が辛すぎて自己分析ができなかったんだ。今はまだ少しできそうな感じがする。

そういうわけで透明に生きていたなりに、現実世界での実体化は少しできていたということ。
大気は透明だけど空が青く見える感じと一緒かもしれない。
空気を瓶詰めにして透明だ〜って嘆くこともあるけど、生きていく過程で生じたチリとかゴミとか瑣末なものがちゃんと色として見えるものになっててよかったなぁと思う。

 

なんでこんなこと書くのかというと、そういうことだからです。