辞めたはずの会社をやめられない
最近無職が板についてきました。
今は時間がたっぷりあるけど、それをそのまま垂れ流して生活しています。
今日は眠れないので(クソ引きこもりニート生活で体を動かさないため)、辞めたはずの会社をやめられない話をします。
手続き上は、とっくに退職して無職だ。
会社に行かなくていいし、業務もしなくていい、代わりに給与も振り込まれていない。それなのに私の頭の中にはまだ会社がある。
時間はあるから部屋の掃除でもしようと思って携帯から手を離すと、頭の中の会社が営業を開始する。
頭の中の会社の業務内容は、会社であった嫌なシーンを延々と脳内再生することと、私に難癖をつけることだ。
嫌なシーン上映会が始まると、私は「あー」とか「死ね」とか言って上映会を止めようとする。するとすかさず難癖付け係の者(元職場の人の姿のことが多い)がすっ飛んできて、上映中の私の一挙一動をピックアップし、やれこの時の行動がダメだ、あの時の態度が恥ずかしいとか難癖品評会を始める。
私は恥ずかしいし悔しいから、お前が悪かったんだとか、あの時は本当はこうしたかったんだ、とか言い訳をするが、今度はその言い訳が恥ずかしくなってくる。
最後はもう会社にいるのが耐えられなくなってベッドに逃げ帰って携帯をいじって別のことに脳みそを使って営業を終了させる。
だいたい毎日こうやって、辞めた会社に通っている。
1日のうち何度も営業開始と終了を繰り返すけど一向に辞められる気配がしない。
この妄想を止めるには、会社を倒産させるか、別の会社に勤めるしかない。
早く会社辞めたい。
聲の形のファンタジー
相変わらずむしょくです。
ハローワークに行ったら職員の方が優しかったのでとても嬉しくなりました。
そんなわけで時間は腐るほどあるので聲の形を読みました。
感想文を書いて、ファンタジーで疑似体験したことを残しておこうと思います。
聲の形、登場人物の感情や行動が自然で面白かったです。
汚かったり醜かったりする感情や行動がいろんな立場から書かれているから、自分がその立場だったらどうするかを考えることができました。
汚い所を突きつけられて読んでる途中で苦しくなったり、腹を立てたり、悲しくなったり、自分も同じようところがあるなとも思いました。
石田の被害妄想や顔のばってん、痛いほど分かる。
女子が散々いがみ合ってたのに結構ケロッと仲良くなれる所とかすごく分かる。危ういものだけど。
人間は汚い!
所詮動物だから自分が生きることで精一杯で、汚くもなる。
聲の形では心理描写のバックグラウンドも説明があるので自然で面白かったです。
もちろん漫画だからファンタジー半分、リアリティ半分だけど。
そんな中で、作中でもっともファンタジックな存在は西宮だと思う。
大体の現実では、初めのシーンから物語は始まらない。
少なくとも、もし私が西宮なら手を振り払って睨みつけて全力で逃げる。文句さえ言ってやらないと思う(物理的に言えないけど)。
あれだけの事をしておいて、お前の偽善オナニーに付き合わせるな、と思う。
だけど西宮はそういうことはしないで、
またねって、言った。
本当にそうやって人に向き合える人間なんているんだろうか。
西宮は動物じゃなくて人間だからできるんだろうか。
そもそもファンタジーだから、そうなったらいいのにな、の世界なのか。
そうなったらいいのになっていう対応を、自分もできるようになりたいと思いました。
(あと、ばってんを剥がせるようになりたい。)
むしょくです
晴れて無職になりました。透明だけに。
辞めた瞬間は逃げ切れたという気持ちでいっぱいで清々しかったのですが、辞めた次の日から引きこもり、好きな時間に寝起きし、インターネットばかりしていたらまた沼みたいな気持ちになっていました。
もうだめだ、一回死んだ脳みそは麩菓子のままなのだ。と、嘆いていましたが引っ越しの準備で必要に駆られて布団から出て、人間の形になりすまして生きていたら少しだけどうでもよくなってきました。
人間のふりをしていれば少しずつ気持ちもましになるのは分かるんです。
でも自分だけのために人間のふりをしようと思えないんですよ。おばけのままでいるのが楽だから。
実体を取り戻すには時間と簡単な宿題が必要だなぁ思います。
引っ越し作業が進まなすぎて(主に自分のやる気のなさで)自己嫌悪に陥ることもあるけど、
昔よりも少しだけ段取りが上手になっていることに気づいて嬉しくなりました。
実体化する透明おばけちゃん
透明おばけちゃんという存在は去年の夏に生まれました。
仕事が辛すぎて、寝不足とストレスが相まって脳みそがふかふかしていました。
このまま消えたらどんなに楽かと考えていました。
そういうときに、自分ではない存在を意図的に作り出して、それに辛いことを肩代わりしてもらえばなんとか生きていけるんじゃないかと思い立ちました。
とりあえずTwitterアカウントを作成しました。
名前は透明おばけちゃんです。
理由はおばけは実体がなくて無敵だからです。
あと、敬称をつけたときに「〇〇ちゃんさん」ってなる感じが狂おしいほど好きだからです。
そんな感じで辛いことがあれば透明おばけちゃんに愚痴を呟かせ、自分の体験ではないと思い込む遊びをしばらくしていました。
結論から言うとすぐに飽きました、というよりも、うまいこと辛い体験を自分から別の存在へ切り離すことができなかったのです。
会社のある日は、気持ちだけでも頑張るためにいつも空元気で愛想よくしていました。
休みの日は1週間を乗り越えるために家に篭って身体と精神を休めるという生活をしていました。
気付けば自分が透明になっているようでした。
楽しいことや、やりたいことや、なんのために生きているのかがぼんやりしてきました。
家と会社の往復で人生は最高に薄まっていたのです。
透明おばけちゃんの誕生です!
おばけのふりをしていたら、実体感のない人間になっていたのです。
当時のわたしはうまいこと会社の歯車になることに熱を上げていました。
今までちゃらんぽらんに生きてきたので、そうすれば真人間になれると思ったからです。
おたくで中二病で選民意識に溢れた学生生活を送ってきたわたしは、社会人になったのを機にちゃんとした大人になりたいと思っていました。
おたくを隠しいろんな人とコミュニケーションを取るのは楽しかったです。
積極的に仕事に取り組んで、褒められたときは嬉しかったです。
突然の転勤や業務変更を命じられた時も、「ハイ、よろこんでー!」と受けられる自分まじかっけーと思っていました。
全然喜んでなかったのにね。
やっぱり無理をして生きていると頭がぼんやりしてきます。
意欲や自主性を持たずに、″こうすれば会社や人に喜ばれるぞ、好かれるぞ″ということを行動指針にしていると、自分の人生を生きている感じがまるでしないのです。
それはそれでいい経験だったし楽しかったです。
でもやっぱり自分の言葉で、自分のことを表現できる人間になりたいです。
とりあえず透明おばけちゃんとして、自分の頭で考えたことを素直に表現しようと思います。
そうすればどんどん自分が実体化していくようで少し嬉しいからです。