透明だけどいる

すけすけだよ

疫病と国の動きが辛すぎると言う話

新型コロナ流行とそれに伴う国の動きにとても辛いから久しぶりにブログを更新した。

Twitterに書いていたけどブログの方が読み返しやすいし、文字制限を気にせず書けるからこっちにした。

 

あとコロナが流行った時代の気持ちをネットの海に残しておきたいっていう気持ちもある。

何年か何十年後か知らないけど、過去の疫病について調べた時に、普通のその辺にいる人の率直な感想が出てきたら未来でも起きてるであろう悪いこと・辛いことへの反面教師になるかもしれない。

未来の人がこの時代の風俗史を調べるために古のTwitterとかを調べたら率直に地獄じゃん、と思うんではないだろうか。

こんな思いしたくないでしょ未来の人。文明とデータと言論の自由が残ってたら読んでね。

 

2020年では世界中でcovid-19という新型コロナウイルスが流行ってたくさん人が死んでるんだけど、ウイルスだけじゃなくて今まで放置してきた・されてきた社会問題のせいで生活が立ち行かなくなる人がたくさん出てきてる。

治療法もない中、医療資源が足りず医療従事者の方々も疲弊してる。病気を治すために感染の危険にさらされながら働いてくださってる方々もコロナによって亡くなってる。

だけど日本では感染症対策・経済対策が後手に回り、利権や出し渋りが透けて見える(ビニール傘くらいよく透けてるよ)対策や庶民には到底思いつかない無駄のように見える税金の使い方をしている。毎日新たに悪い意味でびっくりする対策や会見が発表されてニュースや国会中継を見るたびに気が遠くなる。怒りすぎてくらくらする。

超長期的に見てるからなの?数ヶ月もしたら路頭に迷う人がすごい増えるような対策にしか見えんのだけど。

そしてそれが数年、数十年で回復できるように思えないんだけど。

国民を煽るための報道の仕方のせいかもしれないけど、情報に踊らされてるのかもしれないけど、一世帯に布マスク二枚配ることに466億円、和牛の販売促進に500億かけてるって聞いて腰抜けそうだった。その税金医療費に当てろよ。人工呼吸器とか足りてないんだから。休業要請した業界に補償を出せよ。

 

そもそも世界中で急速に感染拡大してたのに国はオリンピックの開催の延期が決まるまではろくな対策をしなかったし、具体的な感染症・経済対策を打ち出す前にオリンピックの延期時期の発表したからな。なんなのこれ。

オリンピックについて選手にはコロナに打ち勝った象徴としてがんばってほしいみたいなことを総理が会見で述べた時は思わず、がんばんのはあんたらだからな!と思ってしまった。さりげなく選手になすりつけたように見えて本当に嫌だった。

選手の仕事はスポーツや普段の勤めてる会社の業務で、感染症対策や経済対策は政治家の仕事だからな。

自分の責任範囲内のことをふんわり他人におっかぶせるな。私の主観と好みと受け取り方によることかもしれないけど、とにかく嫌だったし猛烈に腹が立った。多分他のこともふんわり他人(国民や自治体)に投げるんだろうなと思わされて嫌だった。

実際今緊急事態措置とか自治体にぶん投げられてる。

 

ただこれは政治的無関心のツケが回ってきてるということでもある。私も他人に丸投げをやってた。

私はこれまで自分の生きづらさや忙しさを理由に政治にあんまり関心を持たず、とりあえず選挙は行くけど選挙前日にちょっと調べるぐらいしかしてこなかったし、政治の話をするのはなんとなくよくないことだと思ってた。(これ以上ややこしい奴だと思われたくないから)

これから自分の望む世界で生きたいなら、ニュースとか国会中継とかネットとかで情報を得て、発言するなり選挙の判断材料にするなり、自分の頭で考えて選んで行動に移さないといけないと思う。

今できることは家にこもってインターネットやるくらいだ。自分の知れる範囲で知って、文句があるならちゃんと言葉にして言うしかない。

効果があるか分からないけど少しでも専門家や医療従事者の方々が仕事がしやすいような空気になったらいい。

 

私は不安を感じやすいし物事を悲観的に捉えやすいからよく死にたいなと思うけど、この世界は絶対に滅びて欲しくない。

漫画とか音楽とかが好きだからだ。

生きていると辛いことも多いけど、漫画を読んだり音楽を聴いたりして感動した時はほんとに生きててよかったな、この感動を受容できる生き物でよかったなと思う。

人間っていっても結局ただの生き物なのに、ここまで文化を発展させて受け継いでいってることが素晴らしいと思うから生きるの辛くてもこの世界のことは大分好きだ。

だから今、本来の感染症以外の人為的なことで人死が出たり、路頭に迷ったり、常に不安を抱えたりする状況(そういう未来になりそうなことも含めて)が辛いし悲しいし、すごい腹立つ。

人間が引き継いできたものは芸術文化以外にも医療とか科学とかたくさんある。精鋭の専門家の方々が散々提言をしてるのに国が汲み上げないことがとても辛い。

今住んでる街の行きつけになってきた美容院やケーキ屋が潰れたら悲しい。

 

主語がでかくなってるのは自分でも分かるけど、今自分のことだけ考えてたらこの疫病が収まった後、焼け野原しか残ってないような気がしてすごく怖い。

もうこの疫病が流行る前の世界には戻れないけど、少しでも多くこの世界が残っていて欲しい。

 

 

追記

この文章を推敲してる間にも馬鹿げたことが起こってる。

総理がご自身でTwitterに優雅に犬を撫でお茶を飲む映像を上げてた。もう完全に感覚ずれてんだろ。やめろ。

 

実体化はどうなったのかということ

2年前の自分の日記見たらいじらしすぎて泣けてきた。

確かにあのとき人生を肩代わりしてほしいと思ってたし、でもそれが良くないこともわかってて、インターネット上だけでも自分の気持ちとか考えを形にするぞ、と意気込んでいた。

結果的にはあんまり何もせず、Twitterの方で呪詛の言葉を吐きながら、現状に抗えないまま日常生活をなんとかこなす感じだった。

でもね日記読み返して気づいたんだけど、もう入れ替わってるんですよ。
透明から実体化するつもりが、気づいたら透明おばけちゃんがデフォルトになっていました。
ある意味夢が叶ってしまった。呪詛の言葉強すぎ。
私は2年前の私のことを肩代わりしてあげてるだけで実体感はあんまり取り戻してなかったんですよ。この2年もほぼ記憶なかった。辛い。

でも今は家族がいるから沼から出られなくなったとき助けてって言えるし、前より貯金もできたし、転職の経験値も前よりある。
あと自己分析する心の余裕もある。
大学生のときが一番メンタル死んでて、自分の子供のころ思い出す作業が辛すぎて自己分析ができなかったんだ。今はまだ少しできそうな感じがする。

そういうわけで透明に生きていたなりに、現実世界での実体化は少しできていたということ。
大気は透明だけど空が青く見える感じと一緒かもしれない。
空気を瓶詰めにして透明だ〜って嘆くこともあるけど、生きていく過程で生じたチリとかゴミとか瑣末なものがちゃんと色として見えるものになっててよかったなぁと思う。

 

なんでこんなこと書くのかというと、そういうことだからです。

きみも幽霊になれる

今日は幽霊の日らしいから、幽霊について思ってたことを書こうと思う。

 

私は幽霊のこと、半分くらいは信じてる。
一方的に干渉してくるわけのわからない幽霊のことは信じてる。
双方向的な幽霊はだいたい狂言だと思う。エンタメ的には好きだ。

幽霊は幽霊っていう生き物みたいなやつがいるんじゃなくて、生き物が死ぬ時に強く考えたことを生きてる人が受信しちゃってる状態なんだと思ってる。

考えるときって脳みそが電気信号を伝達してる状態だから、死ぬ時にそれがめっちゃ強くなって残り香みたいになっても割とおかしくないと思う。

寿命でも殺人でも事故でも自殺でもなんでも、不本意に死ぬ時って「いやだ」とか「うらめしい」とか「悔しい」「苦しい」って気持ちがめちゃめちゃ強く出るだろうし、生命が脅かされたら本能的に脳みそフル稼働するだろうし。
通常時に考えてる時よりも強い電気信号が出て、
どっか金属とか鉱脈とか帯電できるところに留まったやつがうらめしや〜の正体だと思う。
だから幽霊はだいたい地縛霊だよ。

霊感も同じ感じで、霊感が強いと言われてる人は受信しやすい人なんだと思う。
霊感がない人もその場の電気信号がめっちゃ強いと受信しちゃうし、電気信号が弱くてもチャンネルが合うと見えちゃう。
受信感度は人それぞれだし、ノイズや他の電気信号の干渉もあるだろうから、ある人には女の幽霊に見えるかもしれないし、ある人には人魂に見えるかもしれない。
ラジオみたいなもんで壁一枚はさんだりアンテナの方向とかHzとか、ちょっと条件変わるだけでも受信状況は変わってくると思う。

地縛霊以外の幽霊もやっぱり電気信号で、生霊や虫の知らせとかは特定のだれかや何かに「会いたい」とか「憎い」とか「達者でな…」とかいう気持ちを発信できた状態なんだと思う。

あと「原始人の幽霊とか桶狭間の戦いの幽霊とかいないじゃん」っていう人もいるけど、これは単純に電気信号が時間を経て受信できないほど弱くなったんだと思う。
一時的に留まることはできるけど、電気信号もエネルギーだからそのうち放電されて消えてくんだと思う。
だから時代によって幽霊は更新されてくし、更新されない幽霊は、よっぽど強く発信して死んだんだろう。

要は思考はエネルギーだし、生き物が発したエネルギーが死んだあとも少し残ってることは割と自然なことだと思っているということ。
死んだあともしばらくは体温とか残ってるし。
思考も少しは残ってたらボーナスタイムみたいでなんか楽しそう。

ゆく年くる年

ぼんやりしてたら1年が終わった。

今年の年の瀬は去年の年の瀬をトレースしてる感じだ。またスターウォーズ見て年を越すんだ。

 

去年はあんまり記憶がなくて、ただ辛かったなって印象だった。

思うことはいろいろあるけど、やっぱりどこにいっても辛いことはあるし、辛いことから逃げても過去の思い出から辛いことがやって来るから結局辛いことの総量は変わらないということ。

辛いと思う感覚を変えない限りどこでなにやっても辛いんだと思う。

 

前よりも環境が少しよくなったからもうちょっと楽に生きられるかと思ったけど、環境よくなったのに相変わらずだめなことがかえって辛かった。

 多分正直なところ、環境がよくなったっていうのもそもそも思い込みたかっただけだと思う。

 

環境を変えても簡単に人間の根本なんて変わらないし、だめなものはだめだし、親切にされても受け取れなかったらどうしようもないのだ。

結局なにしても辛いしやめたいなら、少しでもお金が儲かることをして欲しいものを買ったり、行きたいところに行こうと思った。

買えなくても行けなくてもしばらくの生活はお金がなんとかしてくれるし。

 

今年は意識的に漫画や本にお金を使った。

無料で見られるものもなるべく買った。

働きながら漫画を描いてたりいろんな表現をインターネットを通してやってくれている人たちに夢を見せてもらったから少しでもお金で返したかった。

お金の問題で好きな人が表現をやめて欲しくないなと思った。

 

嫌なことはあったけど、お金は大事だと本当の意味で気づいた年だったかもしれない。

嫌な事で貯めたお金が私を幸せにしてくれる。

嫌なことじゃないほうがいいけど、私のこと幸せにしてくれることに砂かけるのもちょっと違うと思う。

 

来年はエネルギー的に無理しないで生活する。自分のための目標を立てる。この2つだけがんばる。あとはなるように任せる。

来年の自分には特に期待していないので好きに楽にやっていて欲しい。

夏終わった

春先に書いたブログを見たら夏は大丈夫って書いてあったけど結果大丈夫じゃなかったという話。

 

夏とか夏じゃないとかそんなレベルじゃなく生活があっていないんですね。

今の会社に勤めてから何1つ達成感が感じられない。

身の丈にあった会社に入ればよかったという気持ちと、あまりに教育係の人がずさんだったなという恨めしい気持ちで辛い。

新しく人が入ってきたけど、その人が教育受けてるの私が受けたやつと全然違っててすごく残念な気持ちになる。

あとマックスで残業したあとににわざわざ「今日は晩御飯作るんですか?」って聞かれるのがマックスでストレスたまる。

 

たわいない世間話なのは分かってるけど嫌だ。

私はもともと生活するのがうまくない。

仕事があったらその日はご飯なんて作りたくないし休みの日は寝込んでる。

風呂入るのが精一杯なのになんで家族でもない人に妻の役割でいることを強要されなきゃいけないのかという気持ちになる。

 

自意識過剰だとは思うけど、誰だって無意識のうちにレッテル貼って生きてるから、多分その人も私に家事しない人間って無意識にレッテル貼ってるんだろう。

こういう妄想が本当に無駄ということも分かってるけど「なんか嫌だ」というのはどうしても拭えない。

人によって爪を切りたくなる長さが違うことと同じだと思う。他人にとってはすごくどうでもいいことだけど、爪が伸びてる当事者によってはすごく気持ち悪いこと。

 

そういうことが多分生活にありすぎるから生きるのが辛いんだと思う。

秋はなんとか静かに人に迷惑かけずに生き延びていたい。

 

体のチャンネル

体にはチャンネルがある。

 

仕事に行く体。

家でゴロゴロするときの体。

冬の体。

春の体。

 

ちなみに頭のチャンネルもある。

今回は体のチャンネルの話。

 

 

珍しく頭は元気だったから今日は買い物に行きたかったんだ。

休みの日なのに珍しく朝に起きられたし、洗濯もできたからきっといけると思ってたんだけど、実際にショッピングセンターに行ったらだめだった。

歯を磨いてメイクをし、着替えても家でゴロゴロするときの体のままだったから、外の刺激に負けたのだ。

 

家にいるときは外から受ける刺激は小さくて穏やかだ。

家の中はカーテン越しの光だし、熱も風も遮断されてる。音だってテレビとか自分で選んだ音しか出ていないし、パジャマだから肌触りも柔らかい。

受容する方も刺激に対してあわせて最適化されてるから体が柔らかいままだったのだ。

 

そんなところに直射日光を浴びて、子供が元気に駆け回るショッピングセンターに行ったんだからだめになるに決まってる。

辛いからしばらくソファに座っていたけど、丁度3階の吹き抜けの渡り廊下に設置されてたもんだから、人が歩くたびに普段感じない揺れまで感じて酔いそうになった。

そして自分がいる場所が壊れて落ちる妄想でついに気持ち悪くなった。

 

とりあえず馬鹿な妄想だと認識して、一階に降り、喉が渇いてることに気づいたからついでにごはんにした。

一回認識して体の欲求を満たしたらだんだんチャンネルが外で買い物する時に合ってきて光と騒音に慣れてきたので、目的のものを買うことができた。

 

今日はうまいことチャンネルが合ったけど、合わない日はそのまま家に帰ることにしてる。

今日は無事にあってくれて嬉しい。

そして書いてて気づいたけど、外出前に体のチャンネルを外に合わせておけないだろうか。

そしたらもう少し外に出てられると思うんだけど。(今日は結局途中で家のチャンネルに戻りつつあったから買うだけ買ったら早々に帰った。)

 

仕事に行く時はもう体が出来てきたから結構すぐにチャンネルを入れ替えられる。

外に出る時のチャンネルって刺激に対してバリアが上手に張れてる感じがする。

でも今はバリアを張る方法よりも、受容を緩める方ができればいいのにと思ってる。

結局体も頭も過敏だから疲れるのだ。

 

 

あと最近季節に体のチャンネルがうまく会わない。これはよくあることだと思う。

夏は1日だけでいいからとにかく太陽を浴びて、汗を出し切れば夏の体に切り替わる。

冬は雪が降り始めると体が寒さに対する力の入れ方を思い出して冬の体になる。(本州に出てきてからはうまく冬の体になれなくてつらい)

 

春はあんまりうまくいかない。暖かいのが嬉しい時と、たまらなく気持ち悪くなる時がある。

冬の冷たさや暗さは私のことを逃してくれる。

コートを着てる分体が守られるし、マスクも帽子もできる。

春はだめな時逃げ場がない。もうすぐ夏が来る絶望感すらある。

でも夏は夏でなんとかなるのだ。

 

春は体のチャンネルが合わなくてつらいけどすごくいい匂いがするから好きだ。

 

 

 

 

冬は日本全土にくる

寒いですね。

胃腸風邪で寝込んでも無職なのでノーダメージでした。

今日は、冬は日本全土にくるという話です。

 

正直なところ、私は東北以南の冬を舐めきっている。

生まれが雪国なので雪が降らないと冬だと認識できない。雪が降るまでは、私の中では季節は秋なのだ。

そして引きこもりのため日々の繊細な季節の移り変わりに気づくのが遅く、気付けばめちゃめちゃに寒くなっている。

頭の中では秋なのに、寒すぎて苛立ってくる。自転車に乗れるくせに、暖房つけなくてもギリギリ大丈夫なくせにめちゃめちゃに寒い。

秋のくせになんなんだと思ってカレンダーを見てようやく本州での冬の訪れに気づくのだ。

 

それでも、頭で冬だとわかっていても、まだ体は秋だと思っている。

雪が降らないと体が冬にならないのだ。

体が夏になるのと同じで、冬になってくれないと体が本気で防寒してくれない。北風に対して筋肉が締まらないのだ。ちゃんと血管とかも締めてくれないと寒いんだよ。

 

せめて頭でもう少し本州の冬を認めれば体も冬になるのかもしれない。

雪が降らなくても立冬からは冬なんだよ。